ヌビア式コーヒー占いの実態
私は12月5日、エジプトのアスワンから船で30分ほどの距離にあるヌビア族の村を訪ねていた。エジプト人ガイドに特別頼んで、ヌビア種族に古来から伝わる「コーヒー占い」を体験するためだった。
現代のエジプトは、国民のほぼ九割が熱心なイスラム教徒で、基本的に占いのような神の教えと相反するものに対して否定的である。したがって、一般的には若い人たちの間でも、占いなどというものは興味の対象外なのだ。
そのヌビアの村へは大型船は乗り込めない。村に入るためにも特別な許可がいるらしい。純粋のヌビア人は、現在約2000人で、女性はヌビア人男性としか結婚が許されていないらしい。
村というより、その島はあまり平たんでなく、洒落た感じの家もあるが、奥に入るほど土着の風合いを伴った家が多くなる。私たちが案内されたのは、かなり高台にある四階建ての石造りの家だった。
その一回の奥の部屋へと案内された。六畳くらいのスペースに、ベッド二台と平台の椅子、そしてもう一つ都会風な椅子もあった。ただ、部屋全体が石(煉瓦?)で造られているため、なんとなく牢獄のような印象を受ける。
私たちは、しばらくそこで待たされた。何も告げられないので、正直いささか不安だったのだが、何のことはないコーヒーを淹れてくれるまでの待ち時間であった。ヌビアのコーヒーは煮出し式で、日本のコーヒーとはかなり違っている。
何人ものヌビア人たちが出入りするので、どの人が家族なのか、ご主人なのか、妻なのか、どういう家族構成になっているのか、まったく分からない。一般の家庭なのか、村長的な役割をもった人物の住まいなのかもわからない。何となく訊ける雰囲気でもない。
ヌビア人は通常のエジプト人のアラビア語とは違って、ヌビア独特の言語を用いるらしい。したがって、私が受けたコーヒー占いは、最初ヌビア語で話され、それがアラビア語に訳され、さらにそれが日本語に訳される、とういう順序で行われた。
出てきたコーヒーは、比較的小さなガラスのコップに入れられていた。色は濃く、味は奇妙だった。不味いわけではないが、さりとて美味しいともいえない。煮出し式のため何か植物的なざらざら感がある。最初、ガラスの容器なので熱く、なかなか手に持てなかった。
コーヒーを飲んでいる時点でも、私は誰が占いをしてくれるのか分からなかった。部屋に出入りする人物なのか、そうではないのか、どこまでコーヒーを飲めば良いのか、どこから占いが始まるのか、分からなかった。やや飲みづらいせいで、なかなか量が減ってゆかない。
どこまで飲めば良いのかと訊くと、普通に飲み終われば良い、とのことであった。だが、実際にはざらざら感が強くなって、とても最後までは飲みきれない。4分の1ほどを私は残した。これで占いができるだろうか、と心配になったが、気にする風でもない。
実際の占いは、別な部屋へと通されて、そこで行われた。そこに待っていたのはグリム童話にでも出てきそうな「魔法使いのおばあさん」という表現がぴったりの老婆であった。イスラムの黒い衣装を纏い、顔も、目と鼻以外は黒い頭巾というか、スカーフで覆われている。
その老婆が占い師であった。高く長い鷲鼻と落ち窪んだ眼窩は、ある種異様な雰囲気を醸し出している。その老婆が語り、もう一人の老婦人がそれをアラビア語の訳し、さらにガイドが日本語に訳す、という形式だ。私たちはコーヒーカップを囲む形で輪になって座った。
私は一番最初にガイドから「コーヒー占い」と聴いたとき、一般的な西洋式のコーヒー占いだなと早合点した。それは「ティーカップ占い」とも呼ばれ、飲み干したコーヒーカップを裏返しにして、テーブルの上に敷かれた布に描かれるシミの文様によって占う形式のものだ。
ところがヌビア式の「コーヒー占い」は、そうではなかった。確かにテーブルに布は敷くが、それは汚れるからで、占いの対象はカップそのものの方にあった。つまり、ガラスのコップに残るコーヒーの飲みカスのシミや文様を手掛かりとして占いを行うのだ。そのためのガラスなのだ。
そういえばガラスのコップは、多少、通常のガラスより厚く、市販のものではないのかもしれない、と後になって思えた。そのガラスコップを、ちょうど試験管を覗き込むように、じっと見つめる。それも一方向からだけでなく、ゆっくりと回しながら、万華鏡を見るように見つめ、一言一言話していく。
あなたは子供が持てる。現在お金を持っている。奥さんの方が強い。何事も決定権は奥さんにある。これからまだ旅行する。将来もっとお金持ちになる。何かの工場か、会社を持つようになる。親か、兄弟があなたを心配している。あなたはやさしい人だ。現在、深い悲しみがある。それが何なのか…私にも分からない。
老婆は占い中、私の方を一度も見なかった。つまり私の反応を確かめながら占っているのではなかった。あくまでもガラス容器の中の暗示を読み取ることに専念しているようであった。占った後も、特に私の感想を聞くでもなく、金銭的な要求もなく、淡々としていた。
ガイドの話では、昔はコーヒー占いを行える人は何人もいたが、今はこの人くらいしかいないのだという。そして、その後継者もいないらしい。私は何とかこれを日本に持ち込めないか考えたが、煮出し式のコーヒーだから可能なので、通常のコーヒーでは無理だろう。
ガラスの容器も多分重要で、それだからこそコップを回しながら、覗き込んで読み取ることが可能なのだ。私が思うに多少霊感的なものが伴っていることは間違いないが、その元となっているのはコーヒーカスがコップの内側にこびりついて描き出す文様にあるはずだ。
私は、近年、特にこういう伝統的な占いに対して関心を持つようになった。現代科学は未来予知に対して無力である。一見、現代風な科学的装いをこらした占いも、実は意外と未来予知という点ではお粗末なのだ。古代人の伝承占いには、神々の導きが息づいている。
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